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林原健プロフィール
HAYASIBARAKEN
1942年 1883年から続く「林原商店」(現「株式会社林原」)の三代目社長、父・一郎の二男として誕生。
1957年 慶応高校に入学。60年には慶応大学に進学。高校~大学の7年間は空手部に所属。
1961年 慶応大学1年の時に父が急死。
「林原」4代目社長に就任。大学在学中に叔父が社長業務を代行
1964年 慶応大学法学部 卒業後、本格的に社長業に取り組み始める。古美術品などを展示する「岡山美術館」(現「林原美術館」)を開館。
1966年 会社の中核事業をデンプン加工業から、デンプンの研究・開発を重視するデンプン化学工業にシフトすると宣言。
1968年 酵素法による高純度マルトースの新製法を開発(74年から輸液用マルトースを製造)、マルチトールの開発に成功。
1970年 研究部門を独立させて「林原生物化学研究所」を設立。
1972年 研究との両論である特許戦略に力を入れるべく、特許部を新設。
1973年 プルランの開発に成功、しばらく売れない時代が続くが、約30年後、BSE問題を受けプルランを用いたカプセルが大ヒット。
1975年 「科学技術功労者賞」受賞
1988年 インターフェロンαの製造承認を受け、大塚製薬・持田製薬より発売。
1991年 企業メセナ協議会の第1回「メセナ大賞」受賞
1992年 商品開発をする「Lプラザ」を開設。(97年には「Cプラザ」を開設)
1994年 トレハロースの安価・大量生産技術を開発、翌年より発売開始。
1997年 「藍綬喪章」受賞
1999年 チンパンジーの研究施設「類人猿研究センター」を設立。
2002年 ナノテク素材「環状四糖」の大量生産技術を開発。
2006年 多機能免疫制御細胞「HOZOT(ホゾティ)」を発見。
2007年 トレハロースの量産で「第2回ものづくり日本大賞・経済産業大臣賞」受賞
2010年 「ファミリー・ビジネス大賞」受賞
2011年 会社更生法の適用を申請し「株式会社 林原」を辞任する。
2012年 吉備国際大学名誉客員教授就任、九州保健福祉大学名誉客員教授就任。
2018年 株式会社林原健307取締役就任
「日本企業はなぜ世界で通用しなくなったのか」出版
2019年 株式会社林原健307LABに商号変更
2020年 他界するまでCKOを務めた。
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