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​璧

◎超貴重な古代中国の王の宝、璧との出会い

私の目の前にガラスの璧がやってきたのは20年近く前のことです。知り合いの骨董商が、受け取り手がいなくなり、どうしたものかと困って持ってきたのです。ある著名な作家さんが探し求めたものだそうです。
ガラスの璧は壊れやすく、満足な形で出土することなどめったにない幻の品です。出入りの骨董商は10数年かけてあちこち探し回り、奇跡的に見つかったのは、作家の方がこの世を去った直後のことだったそうです。はじめて見たとき、とくに何かを感じたというわけではないのですが、璧とはいったいどのようなものか、著名な作家さんがそこまで興味をもったとはなぜなのか、中国の歴史に登場する璧を調べてみることにしました。
すると璧とは古代中国の王たちにとってどれだけ貴重な垂涎の宝かわかってきました。驚くことに、秦の始皇帝の祖父はたったひとつの璧と15の城(城壁都市)を交換しようと申し出ています。始皇帝も城3つとの交換を提案しています。中国の歴代の王たる者たちは璧のもつなみなみならぬエネルギーを関知して、その所有を心底望んでいたのです。

◎璧の研究

私には特異な感覚があり、璧への興味が増すほどに璧がもつ特別なエネルギーがわかってきました。
その能力は成長とともに薄れるかと思っていたのですが、その反対で磨かれるばかりです。
璧とは場のエネルギーに作用して強運幸運を招くアイテムだったのです。
璧は「宇宙エネルギーとつながり、悪い気を排除して浄化し、よい気を招き、その影響を受ける人を健やかに、幸せにする」アイテムであることを確信したので、自ら家の浄化や土地の浄化に使う璧を作ることにしました。
とてつもなく大きなパワーのあるものなのに、本家中国ではすでに使い方も効果も忘れ、「王が祭祀に使った、王の権威の象徴としての装飾品」といった程度の知識、非常に貴重な美術骨董品となってしまっています。
璧のパワーは経済力や権力の上昇におさまることなく、まさに無尽の宇宙エネルギーとつながり、持ち主の力を無限に拡大します。王が望むのは当然のことだったのです。

◎隕石は天の神からの贈り物

古代の璧には、めのうやネフライトなどの石製、隕石や隕鉄(鉄分の多い隕石)、テクタイト(隕石由来のガラス)製のものがあります。
今でこそ、璧は王の神威の象徴としてのアイテムに過ぎませんが、王ともなる人は、先述したように璧の力を知り抜いていたのですから、隕石や隕鉄、テクタイトの璧こそ珍重されたのではないかと想像されます。
なぜなら隕石は天から降ってきたものですから、宇宙エネルギーにあふれ、しかるべき人の手にしか渡らない、あるいは手にした者は世の中を我が手中に収めることができる、神様からの特別の贈り物だと考えられるからです。
当時はまだ製鉄技術がなく、鉄は隕石によってのみもたらされるものでした。後に人の手によって作られるようになった鉄は時代を経るとボロボロに風化してしまいますが、隕鉄は固く錆びづらく、隕鉄の璧は遺跡などに眠り、時代を超えて今に残りました。テクタイトには諸説あり、隕石の一部という説、隕石が地球に高速で衝突したときの高温により、地表の石や砂が溶けて固まったものという説があります。後者であれ、何らかの隕石のエネルギーや成分を含んでいるようです。 

◎宇宙の鋭気を引き入れ、人と土地を守る

近来有名なテクタイトには、リビアングラスとモルダバイトがあります。
リビアングラスは隕石がリビア砂漠に落ちたとき、砂に含まれる珪素等が溶けて作られたとされる淡い黄色のガラスです。モルダバイトは1970年あたりの鉱物展示会からこの世に登場しました。チェコスロバキア(当時の名称)のモルダウ河で見つかった深い緑色のモルダバイトは、パワーストーンとして人気があります。古代の王たちがこの存在を知っていたら、どれだけ欲しがったことでしょう。
古代のガラスの璧は、テクタイトと鉛ガラスを溶かし混ぜて作られていますが、私はモルダバイトとガラスを混ぜて作ることにしました。一般の璧は直径10〜30センチ程度だったようですが、私は、個人用の小さなものから建物用、大きな敷地用、イベントなどの催事用など、いろいろな大きさの璧を作りました。
大きなものほど大きな力があることがわかったので、地域を守るために90センチもある巨大な璧を作り、これを日本の要所に埋めれば、災害や不調和を静め、地をおさめる要(かなめ)となると直観。そこで巨大璧をいくつも作り、北海道に1か所、岡山に3か所、北九州に1か所、東京に小さなものを1か所、埋めました。


璧は太古の天に祀る神器で、一般には玉(ぎょく)と呼ばれる貴石(メノウやネフライトなど)をディスク状態に削って造られています。昔の中国では「天は円(丸い)、地は方(四角い)」と考えていたと大昔の本にあります。ディスクは天を象ったのだと考えられています。使い方は文字の生まれた頃、紀元前1000年頃にはすでにわからなくなっていたようで、文献に残っていません。戦国時代以降はもっぱら財宝として珍重されました。現在、璧は中国系の方と欧米で人気があります。
古代中国で祭祀用や神権の象徴として、王である正当性を表す威信財として用いられた玉器(装飾品)です。軟玉(ネフライト)やめのう類などの玉(ぎょく)、隕鉄、テクタイト(隕石由来のガラス)などを円盤状に磨き、中央に穴を開けたドーナツ型をしていています。表面にシンボリックな彫刻がびっしりと施されたものもあり、加工には非常に高度な技術が必要でした。
璧の起源は、長江流域に生まれた長江文明のひとつ、良渚(りょうしょ)文明(BC3500〜2200)といわれています。長江文明は黄河文明と並ぶ中国の代表的な文明です。1936年、中国の浙江省にて、世界初の出土として、数千年も土に埋もれていた璧がこの世に姿を表しました。サイズは直径10〜20センチが大半ですが、平成2年に福岡県大隅半島の串間市「大の山古墳」の石棺から見つかった石製の璧は直径33.3センチという大きなもの。その他、日本では福岡県の弥生時代の拠点集落遺跡、「三雲・井原遺跡」などからガラス製の璧、8.5センチのものなど数点が見つかっております。

​◎下和の璧=和氏の璧(かしのへき)

楚の国の卞和(べんか)は山中で素晴らしい石を見つけました。和氏はある王にこの石を献上しましたが、王が詳しい者に鑑定させたところただの雑石ということで、刑として左足を切断されました。
この王の没後、和氏は別の王に献上したのですが、またまた同様の判断で今度は右足を失います。
和氏はあきらめきれず、三度目の正直で文王に見せます。王がためしに磨かせると素晴らしい石だとわかり、王はすぐに気付いてやれなかったことを詫び、和氏を称えて、その石から造った璧を「和氏の璧」と名付けたのです。「和氏の璧」は王にこそふさわしい強運を招く璧として四方に知れ渡りました。秦の昭襄王(始皇帝の祖父)はちょう(文字は「走+肖」)(ちょう)の恵文王がもっていた「和氏の璧」を「15の城壁都市と交換してくれ」と申し出ます。

恵文王はそれを承諾しますが、だまされてはいけないと遣いの者にいい含め、璧を持たせて送り出します。秦側は恵文王の読み通り璧だけいただき、都市はやらないつもりだったのですが、遣いの者は見事、璧を完全に守って持ち帰ります。
遣いの者が「完全な璧を持ち帰った」「元の状態のまま帰った」ことから、「完璧」という言葉が生まれたそうです。また「和氏の璧」は別名「十五連城の璧」と呼ばれるようになりました。「怒髪天を衝く」もだまされるとわかった遣い者のこのときの髪の毛の様子を表したものなので、これらの言葉は同じときに生まれたというわけです。
しかし王たちにそれほどまでの価値を尊ばれていた璧も時間とともに、意味も使い方も効力もわからなくなっていきました。
古い中国の人は給料3か月分ほどを注ぎ込み、成功や出世、心身守護のために「玉(ぎょく)」をドーナツ型に磨いためのうなどを求めましたが、それは璧のなごりだったのです。2007年北京オリンピックのメダルの裏側にはヒスイの璧が埋められています。
石や隕鉄の璧は、故宮博物院、上海博物館、東京国立博物館などにあります。

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